自分の感情を把握することが重要
最近、「不安」について相談を受けることが増えています。
あらゆる心理問題に言えることですが、その時その時に自分が持っている感情がどのようなものであるかを把握することが非常に重要です。
多くの人たちは、その瞬間その瞬間、様々な感情に巻き込まれて、その感情に支配されて様々な言動を行ってしまいがちです。
感情に支配されるとは、自分と感情との主従関係が、感情=主 自分=従になっているということです。
その主従関係では、自分が本当に望む人生を歩むことは難しくなって、感情のおもむくままの人生となってしまいます。
この主従関係を逆転させる方法が「自分の感情を把握する」ということです。
把握するというのは、客観的に理解するということです。
不安と恐怖の違い
さて、前置きが長くなってしまいましたね。今日は不安の話をしていました。
不安と似た感情として、恐怖というものがあります。
この2つの共通点は、危機に対して抱くネガティブな感情である点です。
そして、相違点は、その危機が実在しているか、いないかということです。
実在している危機に対して抱くのが恐怖です。
例えば、地震が発生して家がグラグラとしているときに感じるのが恐怖です。
逆に、まだ発生していない地震に対して感じるのが不安です。
自分の感情を把握するためには、このようにそれぞれの感情を理解しておくことも大切です。
不安という感情の役割
さて、それでは実在しない対象に対してネガティブな感情を抱くとはどういうことなのでしょうか?
そもそもネガティブな感情が何のために存在しているかというと、対象を遠ざけるために存在しています。
例えば、人に不快なことをされると怒るという感情は、人に対して怒りを与えることで再発防止することで、次回以降その不快なことが起こらないようにしています。
そのように考えると、不安の役割は、好ましくない事態がそもそも発生する前に未然に防ぐための役割があると考えられます。
人間が持っている機能ですから、不安にも存在しているだけの合理性があるということですね。
不安に悩んでいる方は、まずはその合理性を認めることから始めると良いでしょう。
自分を苦しめるほどの不安を生み出すメリットは?
しかし、何事もそうだと思いますが、過ぎたるは及ばざるがごとしです。
正常に機能していれば合理的なものでも、過大になって正常に機能しなくなると、害をもたらします。
不安感情が大きすぎると、あらゆる行動がとれなくなったり、その感情だけで疲れ果ててしまいます。
しかし、しかしです。
このブログの中で何度も書いているように、人間のあらゆる行動にはメリットや目的があります。
その一見、過大になって害のある不安感情を持つという行動にも、なんらかのメリットや目的が必ずあります。
冷静に考えて、何もメリットのない行動なんてできるでしょうか?
1度ならできても、何か月、何年と言う期間に渡って、継続することは難しいでしょう。
それに、恐怖と違って、不安の対象は実在していないわけですから、わざわざ自分自身の心の中で対象を妄想して生み出さなければ感じることができません。
心の中でそれだけの情報処理を行うためには、やはり何かのメリットがあるはずです。
そのメリットに気づくことができれば、不安からの解放に一歩近づくはずですよ。
ここ数ヶ月、不安から開放されることのない毎日を過ごしています
どんどん自己肯定感が下がりますが、人間の行動には目的、メリットが必ずあるとのコトバに、気持ちが救われます
まだ気付きに至りませんが、何かを示してくれているのかな…と思います
先程も投稿させていただいた者です。
タイトル一覧と一緒にあるイラストがすごく可愛いな、見てると楽しくなるな、北林先生が描かれていいるのかな?といつも思っていましたが、今回のふっくらと白い「おばけ」のような愛らしいイラストは、もしかして「不安ちゃん」?!?
こんなかわいい顔して、文句も言わずに健気にがんばってくれているのかと想像すると、なんか不安に対する見方が変わってくる気がします。
今回もありがとうございます。
不安には好ましくない事態を未然に防ぐための役割があって、人間が持っている機能には存在しているだけの合理性がある。これは先生がよくおっしゃっていることなので、「そうなんやな。人間の体ってうまくできてるんやなとよく思うけど、心もそうなんや、すごいな。」と改めて感じます。
自分の場合、胸の中にあるこの不安感は、自分に「こんなことしてたらダメ」「ぼやぼやしてたら生きていけない」というような警告や、もしかして、生きていくための活力みたいなものを出そうとしてくれているのか?と考えます。
私のためにがんばってくれているこの不安感。
しかし・・・これがつらい。
子どもの頃から何十年と続いているこの感覚の「メリット」「目的」・・・。
この苦しみをどうしてもなんとかしたい自分にとって、今回は北林先生からの“宿題”が出た気持ちです。