今日は、昨日に引き続いて、「内側からの美しさ」について書いてみましょう。
美しさというと、どうしても目に見える形のことにとらわれがちですね。
しかし、一方で、内側からの美しさが重要なんだという話もよく聞きます。
昨今では、ルッキズムが批判されるようになって、目に見える美しさは人間の価値基準としてふさわしくないという考え方も登場してきて、内面的価値をより重んじる世の中になりつつあると思います。
ではところで、そもそも「美しい」という言葉はどのような意味なのでしょうか?
辞書によれば、このようになっています。
「色・形・音」という物理的な話と、「心や態度」と言った心的な話の両方について語られている点が面白いですね。
ここで思い出してほしいことは、物理的なものの見え方には、重要性や関係性や意味合いなどによって修正を加えられているということです。
この辞書の言葉でいうと、「心や態度」が理想的であると、「色・形・音」も調和をとれて快く感じられるというように、五感は修正されるということです。
はっきり言ってしまえば、心や態度が良ければ、美人に見えるということです。
このことは最近のブログで説明してきた通りのことなのですが、ここで新たに加えたい点は、「心の中にあるものは、他の人にも伝わるという」論点です。
例えば誰か悲しみを抱えている人に会えば、その悲しみが伝わってきて自分も悲しくなってくるということは良くありますよね。
逆に誰か楽しい人に会えば、自分も楽しくなってくるものです。
このように心の中にあるものは、共感という能力によって「ああ、この人は悲しんでいるんだな」とか「この人は楽しい人だな」とかいうことが共有されて理解されるわけです。
さらに、その悲しいとか楽しいという感情は、五感に影響を与えて、暗く見えたり、輝いて見えたりといったように物理的な見え方を変えてしまいます。
これは同一人物でも起きてくることで、物理的には同じ体と顔であって、悲しんでいれば物理的に暗いように見えるし、楽しんでいれば物理的に輝いているように見えるわけです。
つまり、
①あなたの心の中にあるものは、共感能力によってでみんなに共有されている。
②みんなは、共有された感情によって、あなたの容姿を修正して見ている。
ということです。
ですから、あなたが心の中に美しい物を持っていれば、視覚的にも美しい人だと見えますし、心の中に醜い物を持っていれば、視覚的にも醜く見えてしまいます。
これが「内側からの美しさ」の仕組みです。
「自己肯定感を高めると美人になる」というのも、こういう仕組みで成立しています。
つまり、あなたの自己肯定感が高い状態にあると、その高い自己肯定感は他の人たちに伝わって共有されます。
すると、その他の人たちは、その人たち自身のことも、あなたのことも肯定的に感じることができるようになります。
肯定的に感じるというのはとても心地よく気持ちのいいことで、その気持ちが、あなたの容姿を見たときの見え方を変えるわけです。
つまり、あなたが美しく見えるということです。
このように、美しいという言葉には、物理的な姿形だけでなく、「心的な快さ」が含まれているということを忘れてはいけません。
それでは、「心的な快さ」とは何なのかと話は深まっていくと思うのですが、それはいよいよ、自己肯定感とか自己受容とか、あるいは愛とかの話になってくるわけですね。
と言うことで、今日はこの辺にしておきましょう。
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