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執筆者の写真北林陽児

「別の自分」を想定して、受容する。

謎の問題行動をとるのは、「自分の中の別の自分」


今日は、一昨日8/8の『謎の問題行動をとるのは誰?』の続きです。


あなたも、自分自身では止めることのできない謎の問題行動をお持ちではないでしょうか?


例えば、無駄に食べてしまうとか、浪費してしまうとか、すぐ怒るとか、すぐ不安になるとか・・・。


そのような問題行動も自分が行っているわけですから、「誰が行っているのか?」と問われれば、「自分ですね・・・」としか答えようがないわけです。


でも、自分は望んでいなくて止めたいと思っているわけですから、自分が行っているという考え方は、おかしいようにも思われます。


それならもう、「『自分の中にいる別の自分』がやっている」ということにしちゃいましょうよということを書きましたね。


「別の自分がやっている」という考え方の良い点は、①自分を責めずに済む ②解決の糸口になる。ということでした。


「別の自分」は、問題解決の糸口になる。


今日は②解決の糸口になるについて説明しましょう。


よく学校の先生とかちょっと目上の人に「自分と向き合え」とか「自分の心と向き合え」みたいな謎の発言をされることがあったような気がします。


一見もっともらしく聞こえる説教ワードなのですが、「ドユコト?」「ドーヤルノ?」という理解不能の無駄発言だと思ってしまうわけです。


どうせそれを言った目上の人自身が具体的方法を知らないので、具体的方法を教えることをせずに、そういう発言をして無責任な人たちですよね。


この「自分と向き合う」という精神活動を行う際に、とても役に立つ具体的方法が「別の自分がいる」という考え方です。


つまり、この自分自身とは別の人物を想定することによって、向き合う対象が明確になるわけです。


例えば、過食を繰り返してしまうような場合には、「過食する自分」という「別の自分」を想定して、その人と向き合い会話を展開していくわけですね。


そう、会話を展開するわけです。


そして問題行動を止める、あるいは、その人に問題行動を止めてもらうという観点から、この会話を実りあるものにするためには、いくつかのポイントがあります。


「別の自分」を9対1、10対0で傾聴する。


まず第一に、会話というよりは傾聴をするのだということです。会話というとつい自分が話すことを考えてしまいがちですが、9対1とか10対0で聞くことを優先します。


つまり、むしろ会話というよりはカウンセリング、自分自身が「別の自分」をカウンセリングしていあげるという心づもりでもよいでしょう。


実際の生活の中でも、子供とか、部下とか、配偶者とかが謎の行動をとっていて、それを止めさせたいときって、「やめろ」と頭ごなしに言うとむしろ頑なにその行動をとるようになりませんか?


例えば、愛し合う二人に対して、国民がやめろやめろと大合唱すると、2人の気持ちは余計に盛り上がって、ニューヨークへと駆け落ちしてしまうわけです。


それよりも、どうしてそういう行動をとるのか?どういう気持ちなのかなどの話をよく聞いて理解して認めてあげると、結果的に問題行動を止めてくれるものです。


自分である以上、悪意はない。というかメリットを信じている。


それから第二のポイントは、別の自分も悪気はない、というかメリットがあると信じてその問題行動をとっているという前提に立って話を聞きつつ、それが何なのかを理解するために話を聞くことです。


そして、その何らかのメリットのために頑張ってその行動をとっているということを認めることです。


「別の自分」とは言うものの、その人も自分の心の一部ではあります。


自分の一部である以上は、意図的に悪意をもって自分自身に対して有害な行動をとることなどありえないことなのです。


ですから、その言い分によく耳を傾けて、理解して、認めることが必要です。


この話は以前のブログ記事「非合理的な行動の『合理性』」というところで、同じ話を書いています。この記事の末尾にリンクを貼っておきます。


最大最強のフワッと言葉「自己受容」


上の記事と今日の記事の違いは、「その自分」を対象として想定することによって、「心と

向き合う」という謎の抽象的行動が、具体化されて簡単になるよという話です。


ところで、ここで言う「別の自分を傾聴して、言い分を理解して認める」という精神的な活動のことを一言で表現するならば、どんな言葉がぴったりくるでしょうか?


そう、それこそメンタル界隈における最大最強の謎のフワッと言葉「自己受容」というものなのです。


他人を受容するというのはまだ分かるけれども、自分を受容するってどういうことか分かりにくくないですか?


それは受容する対象がイマイチ明確でないから、自己受容という言葉の意味や具体的方法が見えてこないわけです。


そこで、「謎の問題行動をする困ったちゃんである『別の自分』」を受容すべき対象として具体的に想定するわけですね。


それができれば、誰か他人を受容するのと同じ状況になりますからね。


「自己受容」のような謎のフワッと言葉が多い界隈ですから、より具体的で分かりやすく解説することは私の役割かもしれませんね。


なんだか今日はちょっと辛口表現の多い記事でしたね笑


関連記事の紹介

2023年6月7日「非合理的な行動の『合理性』」


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