前世療法とトラウマケア、核心部分は同じ
昨日は、前世療法を取り上げて、効果はあるということを書きましたね。
前世療法というのは、前世での出来事を思い出して、その時の気持ちを受容していくことによって心を癒していくセラピーです。
一方で通常のトラウマケアでは、過去の出来事を思い出して、その時の気持ちを受容していくことによって心を癒してゆきます。
ここで、前世療法と通常のトラウマケアはどちらも、「出来事を思い出して、その時の気持ちを受容する」という部分が同じで、違いがあるのは、その出来事が、前世のことなのか、今世のことなのかという部分です。
さらに言ってしまえば、思い出す系の心理療法は、「思い出すこと」以上に、「気持ちを受容すること」が核心部分です。
昨日の記事で「前世療法とトラウマケアは本質的に同じなので、同じような効果が得られる」と述べたのは、そのような意味合いです。
では、今日は逆に、この2つの異なる点は何でしょうか?
先に結論を言ってしまうと、前世療法では、通常ケアでは開くことのできない扉を開くことができます。
「心と向き合う」という苦しく難しい活動
私たちは、心の中に抑圧された様々な感情や思いを持っていて、その感情や気持ちと向き合って受容することが、思い出す系の心理療法の核心です。
しかし、その抑圧はどうして生まれたのか?と言えば、その時に向き合いたくなかったからです。
そして、どうして今まで解消されなかったのか?といえば、その後も向き合いたくなかったから解消されなかったのです。
つまり、心を癒す核心は、心の中にある「向き合いたくないもの」と向き合い受容することなのですが、同時にそれは苦しく難しいことなのです。
「心と向き合う」という苦しく難しい行いに寄り添って、支援することがセラピストの仕事であるとも言えます。
ところが、ここで、「向き合いたくない」と拒否する気持ちが強い場合、向き合う対象を思い出すことができないという現象が生じてきます。
単純にセッションの約束の場に来ないとか、トラウマの出来事を思い出すことができないとか、途中で気持ち悪くなってしまって中断するとか、あるいは急に眠くなって眠ってしまうなどの現象が起きたりして、向き合うことを拒絶してしまいます。
まあ、もっともセラピストが未熟でなければ、そんなことは起きませんが。
なぜ向き合うことを拒絶するかといえば、向き合うこと苦しく危険なことで、傷ついてしまう恐れがあるため、自分を守る必要があるからです。
つまり、拒絶することは、決して悪いことではなく、自分の心を守るための重要な心の機能であるとも言えます。
このように向き合うことを拒絶することを、「開くことのできない扉」と表現してみました。
自分であるような、自分でないような曖昧な存在
この「開くことのできない扉」を開くことができるのが前世療法の優れた点です。
前世療法においては、思い出す出来事や感情や思いを体験した人物は、クライエント自身ではなく、前世の自分として思い出すことになります。
前世の自分は、自分自身であるような、自分自身ではないような曖昧な存在です。
その出来事や感情や思いを体験したのは、自分自身ではなく、「自分であるような、自分ではないような曖昧な存在」だったわけです。
つまり、その受け入れがたい出来事や感情や思いといった体験をしたのは、自分ではないわけですから、思い出して向き合ったとしても自分自身が傷つかずに済むわけです。
つまり、心が傷つく危険から自分自身を守りつつ、ケアできるということになるわけですね。
そのようにして、自分自身の安全安心を確保することができるから、「通常は開くことのできない扉」を開くことができるわけです。
これは、大きなメリットだと言っても良いと思います。
大丈夫!心と向き合うことは楽しく嬉しいこと!
もっとも、それは前世療法でしかできないというわけではなく、様々な方法があります。
様々な方法があるので、前世療法だけを積極的に行うのではなくて、そのクライエントに合う方法を使うというのが私のスタンスです。
つまり、前世療法に限らず、「心と向き合う」ことは苦しく難しいと恐れているクライエントに、安全安心を確保たうえで、むしろ新しく生まれ変わるような楽しいこと嬉しいことなのだと思ってもらえるよう支援することがセラピストの仕事なのです。
つまり、怖くて不安で「開くことのできない扉」を、喜んで楽しく開けるように支援することが、セラピスト側の核心と言えると思います。
ですから、多くのクライエントの方から2回3回とセッションを重ねるに従って、「楽しみにしていました」とか「早く受けたかった」とか言ってもらえるのですが、そういう時が私の嬉しい瞬間です。
Comments