昨日は、ダイエットを例にして、葛藤についての記事を書きました。
「食べたい」という食欲と「食べちゃダメ」という禁止の両方が、拮抗して葛藤を起こすというお話でしたね。
今日は、この葛藤という心理現象について、もう少し深めてみましょう。
「食べたい」と「食べちゃダメ」という気持ちはダイエットをしていない通常時でも存在していて、小さな気持ち同士が小さく葛藤しています。
そして、ダイエットを始めると、「食べちゃダメ」が強めることになり、それに拮抗する形で「食べたい」も強くなって、大きな気持ち同士の大きな戦争へと発展するということでしたね。
心理的な現象として葛藤に対して、「戦争」という言葉をあてるのは、ちょっと大げさなような気もするのですが、激しい葛藤による心の混乱状態は「戦争」という言葉でもちょうど良いくらいな気がするのです。
この「ちょうど良いくらいな気がする」という感覚は、実は英語の単語に現れています。
と言うのも、実は、心理的な葛藤と、物理的な戦闘状態の両方を表す言葉として、”conflict”
という英単語があります。
Conflictという英単語は、戦い、戦闘、紛争、前哨戦、衝突という物理的な闘争状態を表すだけでなく、「葛藤」という心理現象も意味しています。
これはなかなか面白い言語表現だなと思っていて、英語においては、実在するものの衝突状態と、心理的なものの衝突状態とを同じものとして表現しているわけですね。
つまり、物理世界と精神世界で区別をしていないわけです。
むしろ、小規模だったり局地的な衝突であるconflictと、全面的な戦争であるWarは、別単語で区別されているわけですね。
そういう意味では、心の中の葛藤は、その人の心の中だけで起きているわけで、局地的だからWarではなくて、Conflictに分類されるのかもしれませんね。
なんか、英単語の話を始めてなんなんだ・・・という感じですが、私が言いたいことは、心の葛藤というものは、それを抱えている本人にとって戦争に巻き込まれているようなものなのだということです。
折しも私たちの世界は現在、ウクライナ戦争という戦争を抱えています。
例えばダイエットをしている人にとって、「欲求と禁止の葛藤」は、
この世界にとっての、「ウクライナ戦争」のようなもので、
心の中、主観的世界では、同じような痛み、苦しみ、混乱を感じてるわけです。
まあ、個人のダイエットと大勢の命が失われる戦争を同じに語るなんて・・・という感じも確かにします。
しかしながら、ダイエットに取組んでいる本人の主観においては、そういうことなのだということです。
また、私が言いたいことは、たまたま分かりやすい例としてダイエットを用いているだけのことで、他の全ての葛藤について同じことが言えるということです。
つまり、心の中で生じている葛藤というものは、現実における戦争と同じような痛みや苦しみや混乱があるんだよということです。
しかし、心の中の葛藤と、現実の戦争の大きな違いは、周囲の人から見たときの気づきやすさですね。
戦争というものは周囲を巻き込んで派手にドンパチするわけなので、すぐに他の人々に気づかれて注目を浴びることになります。
それによって、未然に防ごうとする人や、停戦のための仲介をしてくれる人なんかが出てくるわけです。
しかし、心の中の葛藤は、他人にはなかなか気づいて貰えない、あるいは本人ですら気づかないということが良くあるわけです。
葛藤に限らず、心の問題は、問題を抱えていると気づくこと、その問題を解像度高く理解すること、そういうことによって解決されます。
ところが、現実の戦争と違って、その気づくということがなかなか難しいわけですね。
だからこそ、「心の葛藤は、戦争と同じなんだ」と強調することに意義があるのではないかと思うわけです。
戦争と同じくらい辛く、苦しく、混乱しているんだということを明らかにすることで、もっとちゃんと気づいて、理解して、受け入れてあげて欲しいなと思うのです。
戦争で国が荒廃するように、心が荒廃する前に気づいてあげてくださいね。
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