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執筆者の写真北林陽児

『君たちはどう生きるか』はロールシャッハ

臨床心理学の世界には、性格検査というものがあって様々な方法があります。


典型的には様々な質問に答えていくようなものを想像されるのではないかと思います。


そういうものを質問紙法というのですが、別種の方法として「投影法」という方法があります。


「ロールシャッハ・テスト」と言うものが代表的なのですが、これは被験者にインクの染みを見せて、それが何に見えるかを回答させることによって、性格を測定するものです。


これは、インクの染みという「曖昧で意味のない刺激」に対して、意味づけをさせるわけですが、その意味付けには、その人の心が投影されるという考え方に基づいています。


さて、話は転じますが、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』ってロールシャッハ・テストみたいな映画だよなっていう話をしようと思います。


観た人はだいたい一致すると思うのですが、とても分かりにくい作品というか、「分かってもらう」ことを放棄しているように思えます。


ところが、私自身はどうしても気になってしまって結局3回も観に行ってしまいました。


この映画は、まとまりなくメッセージが抽象的に表現されていくので、観る人によって解釈が全然違ってきます。


私の場合、劇中の塔の中の世界というのは、心の中の世界とも思われました。


と言うのも、塔の中の世界で展開されるあれやこれや、というのはまるで私の心理療法のようだなとも思えたからです。


私の心理療法では、イメージを用いて、イメージを見たり感じたり話したりすることによって、自分の心と向き合うのですが、そのイメージの世界と、塔の中の世界が重なって私には見えました。


つまり、悩める主人公が、自分の心と向き合って、心の中で悩みを解決して、再び現実世界に戻っていく、という風に私には思えました。


最後に塔が爆発して崩れ落ちるわけですが、古い自分を打ち壊して、新しい自分へと生まれ変わことを意味しているように見えました。


では、何故私にはそのように見えるかと言えば、私が日々心理療法に取り組んでいて、私の心の大きな部分を占めているからです。


現代の映画やアニメには、商業的に成功するためのノウハウが蓄積されていて、セオリーが確立されています。


そのような映画は、模範解答と、そこへと至る道筋もすべて用意されていて、作り手のお膳立てにしたがえば大抵の人が模範解答に至るように、親切に作られています。


しかし、それに対して『君たちはどう生きるか』は、そういう種類の映画では全くなくて、むしろ極めて不親切。まるでロールシャッハ・テストのようです。


意味があるのかないのか不明で、なんとなく面白い映像、つまり「曖昧で意味のない刺激」を見せられて、それに自分自身で意味を作り出すわけです。


すると、そこに浮かび上がる意味は、自分の心でしかありえません。


そう言えば、「君たちはどう生きるか」という漠然とした大きなタイトルも、「何に見えますか?」と聞かれるロールシャッハの質問と類似性があるように思われます。


つまり、この映画は、自分の心を投影して自分の心を観るためのものであり、その先には「私はこう生きる」という答えがあるんじゃないの?的なことを目指しているように思えるのです。


そして、この映画の秀逸なポイントとして多くの人が同意するであろう点として、エンディングに流れる米津玄師の歌があります。


歌いだしは「僕が生まれた日の空は、高く遠く晴れ渡っていた。行っておいでと背中を撫でる声を聞いた」というものです。


これは、とても秀逸な歌詞だと思っていて、生きることに対する極めて前向きなメッセージが込められていますね。


私には、エンディングでこの極めて前向きなメッセージを打ち出すことによって、鑑賞後に行う解釈を、前向きな方向へと誘導してくれているように思われました。

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