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  • 執筆者の写真北林陽児

イボ痔も、情報処理のプロセス。

ここのところ、お金と心の関係について語っていて、今日は少し抽象的に捉えるとどうなるかという話をする予定でした。


が、昨日の記事の中で、インプット➡情報処理➡アウトプットの流れについて述べたので、そこをもう少し堀深めてみようと思います。


昨日は、「収入」というインプットがあると、「焦燥感が湧く」という情報処理が行われて、「浪費」という行動に帰結するという、過去の私のパターンを説明しました。


ここから「心とは、情報処理のプロセスである」という心の定義の1つを説明したのですが、しかし一方で、過去の記事において「心は、体全体のことである」という別の定義らしきものも述べています。


この二つをつなぎ合わせると、「心とは、体全体で行われる情報処理のプロセス」と言うことができるかもしれません。


浪費行動の話で言えば、「焦燥感」という感情をどこで感じているのか?という話なのですが、これは必ず体のどこかで感じているはずです。


例えば、胸がモヤモヤするとか、お腹がドンヨリするとか、そういう体の感覚があるはずです。


つまり、情報という無形物を取り扱うとは言うものの、パソコンにディスプレイや本体があるように、心にも体という物理的実体をベースとしていて、「感情の正体は、体感覚なのだ」と言ってしまうこともできると思います。


とは言えモヤモヤとかドンヨリというような体感感覚というのは、現れたり消えたりする実体の薄い主観的感覚で、他者には観察できません。


ではここで、もっと実体が強くて客観的に観察できる身体的存在、例えば「イボ痔」はどうでしょうか?


イボ痔というものは、ただあるだけでは痛くないそうで、時に応じて腫れるというか大きくなることによって、痛みが生じるそうです。


この「時に応じて」というものが、どういう時なのかを良く探っていくと、働きすぎて疲れているとか、ストレスが辛い時ということになっているはずです。


そのような場合、イボ痔は、体感覚として情報処理のプロセスを担っていると考えることができます。


つまり、「働きすぎ」というインプットがあったときに、体感覚としてイボ痔の痛みで辛さを感じるという情報処理を行って、休みを取るというアウトプットを引き起こしているわけです。


ここで言っていることはイボ痔も心理的な症状なんじゃないの?ということであって、すなわり心理療法でなんとかできるのでは?という議論になってきます。


そんなバカな話があるかと思うかもしれませんが、これは私の実際のセッションの事例の話でして、全く持って真面目な話で、短いのですがご本人の体験談もあります。


以下、体験談******


私は,お産の時の痔で長年悩んできました。


今回娘に進めて初めて北林先生のセッションを受けて


長年悩んでいた痔の痛みもスカッリ無くなり


全然不愉快な思いも無くなりました。


不思議です。


北林先生のセッションを受けてとても良かったです。


ありがとうございます。

************


まあ、イボ痔に限らず身体的な様々な症状は、心の一部として情報処理を担っているわけです。


多くの場合は、痛みや不調を起こすことによって、強制的に休みを取らせるような場合が多いのですが、頭痛、腹痛、生理痛、腰痛、肩こり、そういった不定愁訴の類は、自分に無理をさせず過剰な活動をストップさせるための仕組みとして存在しているわけですね。


ただし、その仕組みが過剰を避ける機能として有益であれば良いのですが、ほんのちょっと活動しただけで痛くなるような場合には、困ってしまうわけですね。


そういう場合は、薬を飲むとか、マッサージを受けるとか、医者に行くのも結構なのですが、対症療法でしかないわけですね。


根本的に解決したいのであれば、心理療法によって心の仕組みを組みかえることが有効です。





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