心理学において、人格というのは多くの人の興味を引く分野です。
人格の説明の仕方には、類型論と特性論という物があります。
類型論というのは、人格をいくつかのグループに分けて理解する考え方で、例えば血液型占いでは、4つのグループに分けて理解しようとしているわけですね。
で、今日はこの類型論の話をしてみようかなと思います。
類型論においては、まずグループを分類する基準を何にするか?という議論があります。
血液型占いにおいては、血液型を基準として分類していますね。
クレッチマーという心理学者は、体型によって性格を分類できると考えて、肥満型、細長型、闘士型という3つに分けました。
肥満型は、社交的で融通が利き、躁うつ病気質。
細長型は、非社交的で敏感かつ鈍感で、分裂気質。
闘士型は、几帳面で融通が利かなくて、てんかん気質。
というように説明したのですが、体型によって病気までわかるとしているわけですね。
クレッチマーの体形説と言えば、心理学の歴史としてはかなり有名ですが、実質的内容としては偏見に満ちた理論というのが今日的な評価です。
このように、類型論は正しいのか正しくないのか謎で、そういえば血液型占いが信じられているのは日本だけで、科学的には否定されていると聞いたことのある人もいるでしょう。
それでも、信じれば、信じたことが事実になるという真理もあるわけです。
クレッチマーの体形説が心理学の歴史に残るくらいですから、血液型占いが説得力を持っても特に不思議はありません。
ココロのお話と言うのはそれくらい非科学性というか主観性が含まれてこそ、真実性があるのではと個人的には思います。
さて、血液型占いについて、あえて「占い」と表現しているのですが、多くの占いも類型論に基づいていると言えます。
例えば、星座占いは誕生月、動物占いは生年月日によって分類して、性格や運勢を占っているわけですね。
占いでは、未来を予知できる点が斬新なポイントだと思います。
もし本当に、この生年月日の人はこういう性格だと分かるのであれば、その性格で生きているとこういうことが起きてくるよと、ある程度なんとなくの人生予想はできると思います。
そういう意味では、人格の類型論と占いは、科学とオカルトの接点のように感じたりもします。
さて、ところで、私には仲の良い友人がいるのですが、その友人というのが様々な面で私と共通点があります。
性格が似ているし、高校と大学の同窓生でもあり、似たような病気にかかり、歩んだ人生がよく似ていて不思議な友人だなあと、ずっと思っていました。
で、ある日、SNSを見ていて気づいたのですが、その友人というのが私と生年月日が全く同じだったわけですね。
この話を2人で嬉しそうに私の妹に話したところ、「気持ち悪る」と冷ややかに言われました笑
まあ、このように、クレッチマーの体型論も、血液型占いも、星座占いも、確かに非科学的であることを認めつつ、それでも正しいよね・・・という気もするわけです。
心理学を代表として、何とかして科学であろうとして頑張る文系学問があるのですが、どう頑張っても数学や物理学のようなハードサイエンスにはなりえないので、自らに内包する非科学性を受け入れて、緩い感じでいいんじゃない?と思っています。
科学か非科学かよりも重要なのは、悩みや苦しみを解決できるかどうかですよね?
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