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  • 執筆者の写真北林陽児

ココロからアタマへの担当者変更

今日はようやく、「視覚イメージも含む体感覚(以下:体感覚)」の声を聴くと、苦手意識や悪習慣のような様々な問題が解決されるのかという話をしましょう。


ザックリ言うと、ココロで感じていることをアタマに伝えることで、アタマの思考と意志によってコントロールができるようになるからです。


苦手意識や悪習慣などは、頭ではわかっていてもできないこと、止められないこと、コントロールのできないこととして存在しています。


そして、どのように存在しているかと言えば、モヤモヤ、どんより、ずっしりのような不快な体感覚として存在しているということを、説明してきました。


苦手意識を持っている行動をとろうとすると、そのような不快感覚が湧いてきて、取り組めなくなります。


あるいは悪習慣の場合には、その行動をとると不快感覚が消え去るので、行わずにいられなくなると説明しました。


また一方で、感情の正体は体感覚のことであるとも説明してきました。


従って、不快感覚とはそのまま不快感情として、認識されます。


ですから、「体感覚の声を聴く」とは、「感情の声を聴く」、「感情を理解する」ことと同義です。



さて、ところで、思い出してもらいたいことは、小さな子供が泣いたとき、どのようにすると泣き止むでしょうか?


「痛いね」とか「びっくりしたね」とか「お腹すいたね」などと、その子が感じているであろうことを言ってあげると泣き止むという経験はないでしょうか?


子供は言葉が未発達なので、泣くという行動でしか感情を表現できませんが、感情が理解されて言葉になると、泣くという行動は止まるわけです。


この子供が泣く行動の裏にも、不快な体感覚があるわけですが、気持ちを理解してもらったことで泣き止むということは、その体感覚も消えていることを意味しています。


つまり、「感覚の声を聴く」は「感情を理解する」ことと同義で、その感情の正体である体感覚が消えるという結果をもたらします。


前回記事の『母と言う呪縛 娘と言う牢獄』において、娘は全てを分かってもらったことによって、犯行を認めたということを書きました。


これと同じことですね。心は理解されることで、癒されるということです。


そして、「心を理解する」の具体的方法が、体感覚の声を聴いて、言葉で表現することなわけです。


では、言葉で表現したことで、体感覚が消えて、それでお終いでしょうか?感情はどこへ行ってしまったのでしょうか?


「感情は概念へと変身して、担当者がココロからアタマへと引き継がれた」という表現ではいかがでしょうか?


ココロは「感覚」を担当していますが、アタマは思考の対象である「概念」を担当しています。


「体感覚を言葉で表現する」を別の言葉で言えば、「感情を概念化する」ことと言えます。


概念化することによって、アタマの思考の対象となって、アタマでコントロール可能になるわけです。


逆言えば、体感覚ベースで動いている苦手意識や悪習慣を、どうして自分の意識でコントロールできなかったかと言えば、体感覚がアタマの担当ではないからです。


言葉で理解することによって、体感覚を概念化して、アタマが担当できるようにするわけです。


アタマが担当できれば、冷静な思考に基づいて、今まで苦手だった行動はどうしたら克服できるだろうか?とか、その悪い行動を止めようとか考えることができて、かつ実行できるようになります。


どうでしょうか?こんな感じの説明で理解してもらえるでしょうか?


まあ、この話は重要ですからね。


様々な表現方法で、何度も同じことを書いていくことになるかもしれませんね。




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