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執筆者の写真北林陽児

つまり自己受容っていうこと。

最近の記事では、体感覚の声を聴くことによって、苦手意識や悪習慣など様々な問題を解決することができるということを書きました。


ざっくりとまとめると、人間の様々な悩みの背景には、感情がありますが、その正体は体感悪であると述べました。


そして、その体感覚の声に耳を傾けることで、消すことが可能で、体感覚が消えてしまえば、その問題を担当するのがココロからアタマに交代して、意志に基づいてコントロールできるようになるということでした。


つまり、体感覚の声に耳を傾けるということが、問題に対する解決策なわけですが、このような解決策のことを、世間的な言葉ではどう表現されているかというと、「自分と向き合う」「心と向き合う」そしてその結果「自己受容する」「ありのままを認める」などと言ったりされています。


要するに、体感覚の声を聴いたときに、出てくる言葉というのは、あなた自身が「まだ受容していない気持ち」なわけです。


心の中で受容したから、言葉として表現できるわけですね。


体感覚を観察して耳を傾けるというプロセスの中で、そのような気持ちが受容されて、その結果言葉として表現できるわけです。受容されていない気持ちは表現することができません。


例えば、私は絵に対する苦手意識があって、絵を描く時の体感覚に耳を傾けたところ「見せたくない」「笑われたくない」「恥ずかしい」というような言葉がありました。


面白いことに、こういう気持ちを十分に受容できていない段階では、「笑われた・・・」までしか言えないことがあります。


「笑われたくない」という気持ちを受容できていないと、全文を喋ることができず、口が固まるわけです。


そして、心の中でその気持ちを認め切った時に、「笑われたくない」と全文を口に出すことが可能になります。


感情つまり体感覚あるいはココロという物は、そういうレベルで私たちの行動を支配していて、意志あるいは意識だけでは口の動きひとつコントロールできないのです。


ところが逆に、ちゃんと自己受容できれば不快な体感覚は消えて、自分で自分のことを自由にコントロールすることが可能になります。


もう苦手意識にさいなまれたり、悪習慣の繰り返す必要もなくなります。


さてさて、この話は絵が苦手、という話から始まっていましたからね。


その後書いた私の絵を掲載しましょうか。


子供の頃から「見せたくない」「笑われたくない」という気持ちで、書かなくなっていたわけですが、その気持ちを受容してしまえば、アタマで「じゃあ、どうするか」と考えられるようになって、「練習しようか」とか「ちょっと人に見せてみるか」という新しい考えや行動が出てくるわけですね。


もちろん、突然物理的に上手になるわけではありませんが笑







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