近頃AIの発達が目覚ましいことは、みなさんもご承知と思います。
数日前、AIの専門家の友人から動画リンクが送られてきました。
いかにも台車にアームがついた簡素で安っぽいロボットが、料理をしている映像なのですが、卵の割り方、フライパンの使い方など、とても人間臭い動きをしています。
ああ、後ろに人間がいて、遠隔操作しているやつね・・・という感じなのですが、これが完全にAIによって制御されているということで、業界ではChat GPTと同等レベルの衝撃が走っているそうです。
従来、人類が反映してきた要因は、知能の高さにあるわけですが、AIの登場によって、人類の知能が相対的に無力になるのは周知のとおりです。
しかし、それだけでなく、身体的な能力でも、相対的に無力になるのね・・・と悟らざるをえない動画です。
AI時代ではホワイトカラーが不要になって、ブルーカラーの時代になるよと言われたりもしますが、ブルーカラーも終わり・・・という感じですね。
人間には、アタマ、カラダそしてココロの3要素があると思うのですが、アタマとカラダはもう相対的に無力とすると、AI時代における人間の役割はココロということになると思っています。
従って、この時代に隆盛するであろう分野はズバリ、宗教、芸術、恋愛の3つだと思っています。
知能、理性、客観性などが重要視される時代は終わり、感覚、感性、主観性が人間の価値となる時代が始まります。
と、考えていて気づくことは、それは女性の時代でもあるなと言うことです。
先述の友人が言うには、AIが発展するとプログラマーのようなIT人材がまず不要になるそうです。
AI時代を作り上げた功労者が役割を終えて不要になるというのは皮肉な話だと思うのですが、これは現代社会を作り上げた男性にも同じことが言えるように思うわけです。
人類は長らく男性優位の社会をつくって、客観性と合理性などによって科学と技術を育てて、現代社会を作り上げ、そしてAI時代に突入しようとしています。
そしてその新しい時代では人類の男性よりも「頭が良くて力持ち」が存在していて、男性は役割を終えて不要の長物となっていって、女性10人に対して、男性は1人くらいいればいいよねという感じになるんじゃないかと思います。
そのような時代の変化を直前に控えて、すでに女性の優位性は増しており、それに従ってココロの分野、感性や主観性が重視されるようになってきていると感じます。
例えば、松本人志さんの事件は、客観的な同意の有無よりも、女性の主観における同意の気持ちの有無や、主観における心の傷の有無が、問われているように思います。
この件だけでなく、パワハラやセクハラにおける判断基準は、被害者の「主観的受け止め方」にあります。
客観的事実としての発言や行動内容がどうであるかではなく、被害者が主観的に苦しめば、ハラスメントとして判断されるわけです。
極端に言えば、女性のお尻を触ったとして、嫌がられればハラスメント、喜ばれればOKということです。
このことを思い切って拡大解釈をしてしまえば、「現実」の定義が変わってきているということだと思っています。
従来の男性が作ってきた客観的で合理的な社会においては、「現実」は、「客観的で物理的な事実」が多くを占めていたと思うのですが、これからの社会における「現実」には「それぞれの主観的体験」が占める割合が増えていくというか、すでに増えていると思います。
このような主観的体験も現実の一部である、または主観的体験こそ現実であるという考え方は、ハラスメントの基準に見られるようにすでに始まっているわけですが、AI時代においては一気に加速すると私は思っています。
客観的で物理的なことは、AIとロボットが全部やってくれるわけで、水と空気などと同様に、もはや人間には重要な意味を持たなくなります。
逆に私たちは、主観的体験に重要な意味を見出して、追求していくわけですね。
ただまあ、そういう社会が繁栄的に継続していくかというと、疑問かなと思っていて、少子化と人口減少が加速するかもしれないというのが、私の見方です。
異論は認めますので、悪しからず。
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