前回は、母親との関係から、仕事のストレスが生まれて、そのストレスを癒すために沢山食べてしまうという事例を取り上げました。
実は、様々な問題について丁寧に掘り下げていくと、最終的には親との関係性に至るということは非常に良くあることです。
しかし、どうしてそうなるのかちょっと良く理解できないという面もあるのではないでしょうか。
今日はこの事例を少し解説してみましょう。
まず、最大の謎は、「母親の言いなりになるまい」という気持ちが、母親以外の人に対しても発動してしまうことではないでしょうか?
これは、「投影」という心理的な現象で、日常生活の中で常に起きていることです。
投影というのは、自分の心の中にある要素を、現実というスクリーンに映し出して見ているいうような意味合いです。
今回の場合は、自分の心の中にある母親像を、お客様という別の人物に見出してしまうという問題です。
それは無意識的に行われていて、「この人、母親みたいだな」と気づくことはありません。
そうではなくて、口うるさいな、鬱陶しいな、嫌だななどと言った母親に対する気持ちと全く同じ気持ちを感じるという形で現れます。
同じ気持ちを感じるけれども、それが母親に対する気持ちと同じだと気づくことなく、不愉快さに巻き込まれてしまいます。
そして、意識の上では「母親が嫌」という本当の気持ちではなくて、「その人物が嫌だ」というふうに認識して、ストレスを感じることになります。
「あの人が嫌」で終わらせるのではなく、「本当にイヤなのは母親」だと気づくことができれば、心を一歩深めることに成功したと言えるでしょう。
「あの人が嫌」という気持ちの正体は母親に対する嫌な気持ちであり、「あの人が嫌」は幻覚幻想のようなものです。
では、この幻覚幻想から目を覚ますにはどうしたら良いでしょうか?
それは、心の中の母親像、あるいはその母親像に対して抱いている本当の気持ちを認めて受容してしまうことです。
本当の気持ちを認めて受け入れてしまえば、その気持ちは成仏します。
その気持ちが成仏してしまえば、心の中の母親像も雲散霧消します。
そして、心の中の母親像が雲散霧消してしまえば、その別の人物に対して投影するものがなくなる、というか別の物を投影するようになって全く違う人物像が見えてきます。
例えば、あんなに憎んでいた上司が、全然悪い人ではなくて、むしろ自分のために親切にしてくれていたんだと思うようになったりするような変化が現れることもあります。
幻覚幻想というとちょっとネガティブなニュアンスを感じますね。
少し言い方を変えて、「私たちは自分自身の心の中にあるものを、現実を通して見ている」という言い方ではどうでしょうか。
嫌なもの醜いものが見えるとしたら、それはそういうものが自分の心の中にあるからです。
また同時に、心地よいもの美しいものが見えるのもまた、自分の心が美しいからです。
結局のところ、私たちは心の中にあるものを見ているし、逆に言えば心の中にない物は見えないようにできています。
ですから、「心の変化は世界の変化と同義」であって、そこが心理療法の醍醐味と言ってよいでしょう。
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